「平成4年の7月に台所に立っていた私は、突然右半身の強烈なしびれと脱力感と共に倒れました。死に通じる病というものは、人間に直感的にわかるのだと、その時、倒れながら思っていました。
いつか人は死ぬのだと、普段平気で口にしながら、その実、何も考えまいとして、意識的に生きていました。今まで、取り返しの付かない大切な時を送っていたのだと、右半身が定規で測ったように壊れていく中で、はっきり自覚していました。
こんな症状は、本の中でしか知らないわずかな知識の中から、『左脳の崩壊によるもの』だと考えていました。意識がもうろうとして、現実は遠くなり、未知の世界にひとりで行くのだと、耳元で、自分自身にささやいていました。
脳障害と云っても、私の場合は運動機能障害は軽く、リハビリの先生の熱意で一度は立ち直りました。視床痛という病気をまだ知りませんでした。
2ヶ月と経たない内に退院したのですが、その翌日から視床痛になっていたことを、後でしりました。激痛で再入院したとき、医師も絶望的な表情で私を迎えることになりました。
症状は右半身の激痛です。毛布を掛けることも、そばを人が通ることも、飛び上がる程の疼痛でした。そして痛みがいつまでも止まりませんでした。
その後は、痛みはいっこうに軽くならず、持続しました。激痛の中に生きているという現実は、人の心までも、こなごなにする力を持っていると知りました。
神経節ブロックや何回にも及ぶSCS手術をしました。痛みから逃れること以外、何一つ思い浮かびませんでした。痛さに耐えかねて、医師に何度も神経ブロックをせがみました。手術を何度でもしてみようと食い下がりました。体力はどんどん低下して行きました。
食事を摂る力もなくなり、度重なる手術で身体が化膿して行きました。てんかんのような痙攣が起こり、意識がなくなっていくとき、このまま死ねると・・・だだそれだけがこの痛みに耐える力となりました。
吐血もし、死ぬことは悲しみではなく、死の向こうが無だと思っていたら死への誘いに勝てはしなかった。
同じ視床痛の方たちが『死にたくないけど苦痛に耐えられない。どうして自分だけがこんなに・・・助けて』と自分を不幸に思い、ことさら症状を重く捉え,そして、重く心配するものです。
治りたいとこれほど切実に願う病気が有るとは知りませんでした。ステロイドも効かない、痛みから離れるには睡眠薬で意識を遠のかせることしかありませんでした。視床痛とは、それが当然だと医師達も認めるほどの病気だったのです。
それでも私は、運の良い人間でした。関わってくださる多くの方々が、愛情深く接して頂きました。医師達も治らないまでも真剣に取り組んで下さる方々ばかりでした。集中治療室に何度も入りましたが、翌年には自力で立つことが出来ました。痛みながらも右手で箸をにぎって食事が出来るようになっていました。
たまには、外出が出来たのです。外に出ることは、もうとっくに捨てた生活でした。化粧品も衣類もアクセサリーもほとんどを処分していましたから。
秋の深まった日に、友人がオルゴールコンサートに連れて行ってくれました。まだまともに歩けない、動かしているはずの右足が痛みと硬直の為に動かず、道路に顔から叩き付けられるように転びました。
ハンドバッグが飛んで、薬が、道路いっぱいに散らばりました。でも起きあがり、バッグに詰め、不格好でも歩ける、歩ける、歩ける・・・人前で転んだって恥ずかしくない、わたしは歩けるんだから。そしてコンサートに行けるんだからと嬉しくて自然と顔がほころんでいました。
大病をするまでは歌謡曲しか聴かなかったので、クラシックなんて眠いだけ、どうして退屈しないで聞けるのか不思議に思うくらいの人間でした。
オルゴールコンサートは佐伯さんがお話ししながらオルゴールの演奏を聴くものでした。耳で聞こえない音楽を聴きました。右半身はまるで砂が水を吸うように一滴たりとも逃さずにと夢中で聴いていました。
目を閉じると佐伯さんの真剣な思いが伝わって来ました。オルゴールが演奏している!オルゴールの力が身体のすみずみにまで入って行く音の世界がありました。今まで一度も入れなかった音の、驚くほどきれいな世界に入って行けて涙があふれました。
悲しいときも、うれしいときも泣けますが、神聖な真実に触れたときは、心の底から泣けると安っぽい感激でなく、人間を癒すのはそういう涙と知りました。
心と体は別々に癒されるのではないと思って涙しました。 オルゴール療法というものをさせてもらっていると気が付きました。オルゴール療法の成果については、別記しました。いかに効力のあるものか判って頂けると思います。
病気を患ったことは、不幸に違いないのですが、もし健康であったなら生きている音の世界を知らずに終わったかもしれません。音の世界を素直に信じることを誘導してくれたのは、佐伯さんの言葉の力にありました。自分の無力さを理解し、自分を責めてはいけないと気付いたとき真実の優しさがやってくる。病気を治すということの奥に深い意味があることを今夜もオルゴールが教えてくれています。
疾 患:脳障害、視床痛、右側軽度運動麻痺 43才女性
1997年1月 国立循環器病センター 富山済生会病院脳外科 診断
1997年1月:
症 状:両肩のこり、風邪3回、睡眠:10時間、血圧 150-90
オルゴール療法: 1/6, 1/18, 1/20, 1/27
1997年2月:
症 状:両肩のこり、風邪3回、睡眠:10時間
オルゴール療法: 2/8, 2/26
1997年3月:
症 状:肩こりが消失、温湿布なし、風邪なし、睡眠8時間、血圧140-90
オルゴール療法: 3/4, 3/5, 3/7, 3/8, 3/9, 3/15, 3/17,
3/18、 3/19、 3/21、 3/22、 3/23、 3/25、 3/26、 3/28、 3/29、
3/30、 3/31
1997年4月:
症 状:肩こりなし、風邪ひきなし、睡眠7~8時間 血圧 116-85、
オルゴール療法: 4/2, 4/6, 4/7, 4/9、 4/11、 4/12、 4/13、
4/14、 4/15、 4/16、 4/17、 4/18、 4/23、 4/24、 4/25、 4/26、
4/28、 4/29、
睡眠時に72弁の「カノン」を毎夜聴きます。先月より疲労しなくなる。右側の肩のしびれ、麻痺が先月より軽減している。他に運動療法は実施していない。 40歳代女性 大阪府
研究室:この方が、大阪府箕面市のオルゴール療法研究所の小ホールでオルゴールコンサートを開催した時に初めてお目に掛かりました。まだ歩くことがおぼつかないご様子でした。ホール入り口のわずかな段差に足を取られて倒れたはずみにハンドバックが飛んで中の小物が散らばりました。
コンサートが始まるとすぐにハンカチを出されて涙を押さえられ、そのままコンサートが終わっても涙が止まらないご様子なので、「そんなに感動なさったのだったら、もう少し聴きますか?」と20分程でしたか、アンティークオルゴールを聴いて頂いたのです。後日、あの時のお気持ちがとても嬉しかったと語ってくれました。
その時は、オルゴール療法は、まだ始まったばかりで、視床痛という激痛の大病だとは知らず、低高周波のひびきが脳の奥に届くという知識だけの経験でしたから、この方がどう感じているかなど知る由もなかったのです。
それから、オルゴールコンサートに毎日のように通われました。やがて、この方がお母さんに腕を切り落としてと頼むほどの激痛の”視床痛”と知ったのです。
近くの国立循環器病研究センターや、当オルゴールサロンの隣の大阪大学付属病院や、富山市や、浜松の専門病院でも、手の施し様のない病であることが解ったのです。
そして、その病状がどんどん快方に向かわれました。そして社会復帰なさったのです。民放のDJになられ、その番組に度々、オルゴールのお話しをさせて頂くほどになりました。
脳梗塞の後遺症で、視床痛が起こると医師は、絶望的な表情をされると聞かされました。からだ中の部分の痛みは、その部分の痛みではなく、脳の視床下部の感じる痛みなので、痛みを感じる部分の治療や手術は一切不要であることも解りました。
あるドクターのご紹介により、国際生命情報学会の医学会で患者の立場から「脳梗塞の後遺症 視床痛を軽減して」と題して、オルゴール療法の優れた効果を発表されました。