新たな人生に出逢えた一台のオルゴール
“ひびき”のオルゴール療法を、世に出させて頂いたのは、作曲家小川正先生のお蔭です。長男がお腹にいる時に「オルゴールがいい、スイス製だよ」と教えられました。それから2年間、国内には、見当たらず、長男は2歳になっていました。
その頃、ヨーロッパ旅行に恵まれ、ある楽器店のショウケースの上で、スイス製のオルゴールに触れたのです。両手をガラスのケースの上に置き、オルゴールが鳴りひびいたとき、その不思議なひびきに驚きました。今まで経験したことのない、音を感じたのです。
感動でした。やっと出会えたスイス製のオルゴールは、重厚な低音、豊かな中音、そして透明なひびきでした。「モーツァルトのフィガロの結婚」でした。
沢山の音弁とピンを見て、これが スイス製のオルゴールかと驚きました。
それから毎日、聴き続けて4か月が経ち、長男は2歳半になっていました。
ある日、長男は、「モーツァルトのフィガロの結婚」のテーマを口ずさんだのです。しかもメロディだけを!
そのことに驚いて、すぐに小川正先生にご報告しました。
私たち夫婦は、ある合唱団で知り合いましたので、よく子守歌を歌って聞かせていました。しかし、このモーツァルトのフィガロの結婚のテーマは歌って聞かせたことはなかったのです。オルゴールのメロディだけを、口ずさんだことに、オルゴールの優れた音楽の仕上がりを感じました。
「繰り返す音楽に思い出が乗る、その子の宝物になる」と教わり、それを実際に経験して、オルゴールの魅力に取りつかれたのです。
当時、スイスオルゴールが国内で見当たらず、この珍しいスイス製のオルゴールは知人たちを驚かせました。特に女性には、箱の美しさもあって魅力だったのでしょう。
このオルゴールが欲しい!と沢山の方から取り寄せるように頼まれるようになったのです。

オルゴールで育った長男は、現在私の後を継ぎ、横浜を中心にオルゴールセラピーを続けてくれています。長女は、声優になり、男の子役で有名になりました。次女は、音楽の講師になり、海外で有名なコーラスに入り活動を続けました。
飽きない、ひびきの美しさを、毎晩聴き続けているうちに、このオルゴール魅力を日本中に広めたい、オルゴールの素晴らしさを伝えたいと、「スイスオルゴール友の会」を発足させました。
オルゴールコンサート
ヨーロッパ旅行したメンバーの中に後の大阪音大の学長になられた西岡信雄先生や教育委員の音楽の先生が集まるスイス旅行の同窓会の席で、オルゴールの魅力を伝える“オルゴールコンサート”をしてはどうだろうとアイデアがでました。
オルゴールの歴史や職人や、様々の種類など、アンティークと現代のオルゴールを併せてコンサートを行いました。
“オルゴール博物館巡り山と音楽の旅”を企画して欧州を廻り、オルゴールの知識が増える度に、オルゴールコンサートも充実し、胎教のお話し等をして感動をお伝えしました。
さらに、美しい音楽は情緒・感性を育むという岡 潔博士のお話しを加えるようになりました。
「美しいと感じるときのみ情緒を深める、情緒がなければ感性は育たない」と説きました。
オルゴールは家庭で幼児を育てる最も大切な音楽であることを知りました。
スイスのマーシャルさんの秘蔵のコレクションを地下の特別室で見せて頂いたときに、更に強い感動を覚えました。これがオルゴールの美しさだと知りました。そして、スイスからオルゴールを取り寄せ、検品、調整をして、オルゴールを一台、一台お譲りするようになり、調整して我が子を渡してゆくような気持ちになりました。

当時、趣味でクラシックギターを弾き、将来はギタリストになることが夢でした。リズムの勉強にソシャルダンスを、音を声で出す為に、コーラスに入り身体で音楽を覚えました。その勉強はオルゴールの調整のところで役に立ちました。
スイスからオルゴールが到着すると、もっといい音が出るはずと、毎晩のように、調整に時間を掛けました。少しでも良い音を、オルゴールのファンにお届けしたいと思ったのです。
現在のオルゴール工房は、更に高い技術と音楽性を持つチームです。
オルゴール界で貴重な存在であり続けています。美しい音楽と“ひびき”を持つスイスオルゴールをお渡しすることが私たちチームの誇りです。