1万回のオルゴールコンサート
アンティークやスイスの現代のオルゴールのひびきはとても魅力的でした。コンサートは感動と笑いの渦で埋まり命の大切さをももたらしました。生きる喜びや人生の大切さをお伝えするコンサートになり、年間ほとんどお休みがない程、続けられました。
「胎教からのオルゴールで夜泣きをしない」「すぐに泣き止む」「深く眠れる」「冷えが解消」「うつが快方に」「自律神経失調が戻り」「高血圧が正常に」と多くの感謝の言葉が送られました。
オルゴールコンサートは、さまざまな人生を私に教えました。「阪神淡路大震災では、オルゴールがご趣味で、良くお伺いしていた医師の先生宅に山を越えて辿り着いたときに、「小学生の孫娘を亡くしました」と言われて絶句しました。それから毎日、飲み水を運びました。慰めの言葉など思いつかず、ただ水をお運びすることしか出来ませんでした。
箕面のオルゴールサロン・ルヴィーブルは、1階にサロン、2階にオルゴール専用のコンサートホールとスイスレストランを併設し、コンサートは午前、午後と50名ずつ、毎日、2回、年刊のコンサートを開催しました。
ある日、オルゴールコンサートが始まるとすぐに、2列目のご婦人が涙をいっぱいに貯め、そのうち、ハンカチで目を覆い最後までお顔を上げることが出来ませんでした。「大学生の娘を地震でなくしました。明るい子で落語研究会で人を良く笑わせていました」この時も言葉を亡くしました。「結婚式の指輪の交換の時にオルゴールの“カノン”を鳴らして皆さまが感動した」と小川先生のお話しをしたのが、お嬢さんを思い出して涙が止まらなくなったのです。罪なことを言って申し訳ない思いでいっぱいでした。
音楽ホールでのオルゴールコンサートは、やがて、音響の優れた音楽ホールで開催されることになりました。年末のクリスマスコンサートは、盛況で、現在も20年を超えて開催されています。大阪いずみホールや横浜のみなとみらいホールで開催されました。東京の恩賜ホールや四谷の紀尾井ホールや福岡のアイレフホールなど、また、美術館 博物館のホールやデパートの音楽ホールなど、合わせて40年間で1万回を超えました。コンサートやオルゴールの展示会を含めると、テレビも600回を超える取材や放映をして頂きました。
コンサートに使用するアンティークオルゴールの名器も次第に増えて行き、その上に、現代のオルゴールや手回しのオルガンも好評でした。ドレオルガンでバッハの小フーガを演奏し、続いてホールのパイプオルガンで同じ曲を弾くパフォーマンスで評判になりました。オルゴールとのリコーダーとの共演やスイスから弦楽四重奏者を招聘したり、パンフルートの共演等、オルゴールは、他の音楽と共演して立派にその音楽性を主張してきたのです。
胎教にスイスのオルゴールを教えた作曲家小川正先生を団長にして、ヨーロッパのオルゴール博物館を巡る山と音楽の旅を企画して、オルゴールの知識が豊かになるにつれ、オルゴールコンサートの内容も次第に充実して行きました。その分お話しの部分が増え、不評なこともありました。
思い出を宝物とするスイスのオルゴールは100年間、5代の家の宝として代々渡す趣旨があり、そのことにも感動しました。古い音楽を100年、150年の時代を渡す音楽文化の伝承の意義も大きく、又美しさに情緒教育もあり、更に、スイスのヨーデルにもある、宗教性にもこのオルゴールの意義を見つけて、美しさをめざした究極のオルゴールの箱は、ここに来て、その音に自然界と同じ周波数をもつ”ひびき”の効用に至る多くの特性を引き出し、対面することになったのです。オルゴールコンサートは、オルゴールの大切な特性をお知らせする場にもなったのです。