オルゴール療法の生立ち(2)
オルゴール療法が初めて日本で生まれたのは、決して偶然ではありません。子どもの時から病気勝ちで両親を心配させました。風邪の症状が高じて肺門リンパ腺炎を引き起こして、中学で1年留年し、体育の時間はいつも見学をして、元気な生徒を羨ましく思いました。
体育の先生は、「体育の時間を見学していても、欠席は欠席です」と厳しい言葉の意味を学びました。
高校時代に剣道を始めて、体力を付け、バレーボールやバスケットボールに興じ、住まいの空き地で野球をして、いつのまにか病を少なくして、就職時には健康そのもの、ハーモニカを優れた音楽家に学び、ギターを神戸で習得し、ギター教室の講師を初め、ギターの普及に、会社から業績のご褒美に海外旅行をプレゼントされました。
そこでスイス製のオルゴールに出会ったのです。2才になった長男がスイスオルゴールの「モーツァルトのフィガロの結婚」の曲を口ずさんだのを見て、オルゴールに何かあると感じ、大阪大学の無響室で周波数の測定をして、脳とからだのことを学び、オルゴール療法を世に出しました。世界で始めてだったのです。
大阪大学の副学長先生は博士の資格を出そうと迄検討されたのです。オルゴール療法研究所 所長 佐伯吉捷