「いつもオルゴールがそばにある幸せ」をいつか書いてみたいと思っていました。
子供の頃から風邪とお腹痛を持っていて家族が心配していました。祖母の焚く煎じ薬の強烈な匂いが一日中、家中に充満していました。母はひ弱な私のからだを心配してあちこちの療法を訪ねて歩いてくれました。
時々、お腹の強い痛みがあって、薬箱が頼りでした。富山の置き薬のおじさんが玄関で大きなを風呂敷包みを降ろす姿を思いだします。風邪を引くと頭から布団を被って3日間、ただひたすら布団の中で全身汗でびしょ濡れの日々を過ごしていました。乗り物酔いは悩みでした。当時下関と韓国の釜山プサンを結ぶ関釜連絡船に乗って、一晩中、荒波に部屋の端から端まで滑る死ぬほどの思いをしました。
中学2年生のときに、「肺門リンパ腺炎」という肺炎に掛かって1年休学をして、高校に上がり、剣道部入り、下級生を鍛える毎日を過ごしました。その頃から、次第に体力はついてきましたが、風邪はおとなになっても引き継ぎ、風邪薬はいつも離せないでいました。
あまり効果が上がらなかったので、20年前に、漢方の薬に切り替えましたが、50歳をすぎても月に5千円くらいの風邪薬をいつも用意していました。風邪の初期薬、葛根蕩や桂枝蕩のようなショウガの入った薬でした。
「いつも薬が手元に大量にあると安心」という依存症のようなことも人並みに経験しました。オルゴール療法を初めて20年が経ちます。夜のこむら返りも、風邪も、ぎっくり腰も、打ち身にも、パソコンをやり過ぎて目のかずみや涙目にも、心臓の動悸にも、いつもオルゴールがそばにあって、助けられています。
オルゴールのある安心感に助けられています。この安心感が私にとって大きな財産だと最近強く感じるようになりました。寝るときは必ず胸の上にオルゴールがあって、心臓の鼓動を監視してくれています。
ひ弱で、親に心配ばかり掛けていた子供の頃を思い、今とても幸せです。済生会病院の女医さんが「この年で病気が何にもない、奇跡!」と言って驚いてくれたことが私の宝ものです。
「オルゴールがこの世にあって良かった」と時々に聞く言葉ですが、恵まれたのは、私のようです。それは病弱であったことがベースにあり、オルゴールに出逢えた感謝や恩を思うときオルゴールをここまで高めてくれたスイスの職人に感謝する毎日です。
オルゴールのさまざまの効用に世界中の人々が助けられる日がくればいいなと思っています。