島美代さん長い間ありがとう!
島美代さんに初めてお目にかかったのは阪急デパートで「育児中のお母さん方にオルゴール療法」の話をさせていただきました。育児カウンセラーの肩書きでお勤めになっていましたね。
その実績はオルゴールの療法のカウンセラーとして、大きな足跡を残されることになりました。オルゴール療法研究所に起こしになられた時、阪急でお話しされたその時に、『普通の音楽療法だと思っていましたが、私が求めていた脳幹を刺激する療法だったのです。是非お役に立ちたいのです』と言われましたね。まだオルゴール療法研究所の体制も整わずとてもお願いできる状態ではありませんでした。3度お断りしましたが、4度目に有り難くお受けることになりました。
初めは島さんと私は苦難の道でした。西洋医学とオルゴール療法との相違はなかなか埋まらず、二人で苦しみましたね。ある日、二人で意見が突然揃うようになったのです。不思議に思って島さんにお尋ねしました。『いっぺん所長に添うてみようと思いました』と言われたね。
それから二人のコンビネーションは絶妙でした。個別療法に起こしになられた方に、強い私の話が行き詰まろうとした時、島さんはすかさず、全く別の優しいお話で、助け舟を出してくれましたね。経験豊富な島さんに何度救われたことでしょうか!
島さんは研究所にいらした時は骨粗鬆症でした3年ほど経った時に骨密度が年齢比128%にもなっていました。随分改善されましたね。ある日ディスクオルゴールの重いオルゴールの「スワン」を抱えた時にオルゴールを抱えたまま、後ろ手に倒れられたので、島さんの小柄な体で20kg もあるオルゴールを抱えたまま、そのオルゴールの下敷きになって身動きが取れなかったのでしたね。
島さんはその時『オルゴールを壊さないように上手にこけました』と言われました。驚いたことに肋骨が全く折れてないことを告げられて、骨密度は高くなって骨の柔軟性をも備えてるのかと教えられましたよ。
83歳を過ぎた時の島さんは少しお疲れのご様子でした。そしてご家族からも「仕事を降りるように」言われたのですが、私は反対に島さんに研究所へ来るように、お元気になるからとお仕事を続けないで、オルゴール療法に参加するように、お奨めしたのです。オルゴールの響きの中におられる方が身体に良いと思ったのです。ご自宅でじっとしているよりも仕事場にいることに喜びを感じておられたからです。
しかし、それも長くは続きませんでしたね。あちこちの角に体をぶつけたりするようになり、もうこれ以上は、無理だと判断しました。いつ何が起きてもおかしくなかったのからです。
しかし島さんはアドバイスすることに喜びを感じて、片時も仕事から離れることができなかったですね。体が先に動いてしまうほどのお仕事ぶりでしたね。長い間ご一緒にお仕事をさせて頂いてありがとうございました。ご冥福をお祈りします。 日本オルゴール療法研究所 所長 佐伯吉捷