私たち家族が地獄のような生活から抜け出すことができたのは、スイスオルゴールのおかげです。同じような境遇で苦しんでおられる方の一助になればという思いで、ここに手記を寄せたいと思います。
罵り合いにビンタの応酬も
地方で暮らす私の母七十一歳が、交通事故で、足を骨折したのは2000年のことです。自宅で治療に専念していましたが、日中、一人で歩くことと、2〜3ヶ月寝こんだことなどが重なって精神状態が不安定になり、次第に物忘れがひどくなっていきました。
久しぶりに東京から帰った私は同じ事を何度も繰り返す母の姿を見て母が認知症であることを確信しました。母の言動は年老いた父と子、77歳にはとても手に負えない状態となり、私は母の介護のために東京での仕事を辞めて、実家に戻る決意をしました。そして母の介護の傍ら介護士として働き始めました。
ちょうどその頃、初めて病院を受診した母は正式にアルツハイマー型認知症 要介護1と、診断されました。2004年のことです。そこからが、介護地獄の始まりでした。
母は自分はどうなってしまうのだろうという不安からか、症状には日に日に悪化の一途を辿りました。顔は般若の面のように怒りや、恨みに満ち、暴言、暴力、嫉妬、妄想といった認知症特有の周辺症状が現れました。
一旦、興奮状態に陥ると、手がつけられなくなり、介護士として多くの認知症の患者さんと関わっていた私でも、うつ状態になるほどの耐え難い日々でした。売り言葉に、買い言葉で、ひどい罵り合いをしたり、取っ組み合いの喧嘩をしたり、酷い時にはビンタの応酬をしたことさえあります。
今考えると本当に恥ずかしい話ですが、当時、私も母も、そして父も冷静ではいられない状態だったのです。家族は完全に崩壊していました。
般若のような顔が同時に一変した!
このままだと本当に母を殺してしまう。余命宣告だけはしてはならないと、そこまで切羽詰まっていました。「ここからなんとか抜け出さなければ」という思いで認知症に関する情報を必死に収集していたところ、オルゴール療法に出会ったのです。
私は、早速、横浜にあるオルゴール療法研究所に行きました。まずは自分自身で体験してみることにしたのです。そして、スイスオルゴールの音を初めて、聞いた瞬間、その澄んだ音色に衝撃を受けました。今まで聞いたことのないような深い音色だったのです。
それは、介護疲れで、うつ状態だった私の脳に優しく染み入ってくるような感覚でした。これは何かが変わるかもしれないと思いました。2008年10月スイスオルゴールを母に初めて聞いてもらった時の事です。
母は共鳴箱の上に置いたオルゴールに頬を当てじっくりと「カノン」の曲を聴き入っていました。そして聴き終わったとき、驚いたことに、母は「ありがとう、ありがとう。私、音楽を聴くのが好きやから気持ちいいわ、綺麗な音やね」と久しく見ることのなかった穏やかな顔で答えてくれたのです。
しかしオルゴールを聴いてから、しばらくは様子が安定していましたが、30分から40分後には「こんなもんいじくらしい、うっとうしい、向こう持って行って」とわめきだし、いつもの不穏の状態に戻ってしまいました。
それでも翌日、また翌日と根気よく母にオルゴールを聞かせ続けました。すると次第に母の言動や表情が改善していったのです。ある時は「ちょっとイライラしてたけどこれ聞くと気持ちがすーっと落ち着くわ」と話し、ある時は「頭の芯まで穏やかになったわ、なかなかこんな気持ちにはなれんもんやわ」と言ってくれます。
横で母の様子を見ていた父に向かって「お父さんも聞いてみたら、まるで羽衣を着て空を舞ってるみたいよ」と勧めることもありました。その表情はまるで少女のように純真で、おっとりしたものに変わっていたのです。
こうして毎日オルゴールを聞くことが母の日課となり、日に日に穏やかに過ごせるようになっていきました。そして私と父は「オルゴールがあれば大丈夫」という安心感から心に余裕が生まれ、母に対して優しく感謝を込めて接することができるようになりました。
私たちは、オルゴールで救われました。この体験を一人でも多くの人に広めたいと思っています。