前日に、姉と私たち夫婦で家族旅行しました。姉が旅行に携えたオルゴールはローズのカノンを持参していました。乗り物でも、夜もずっと鳴らしていましたので、聞くともなく聞いていました。翌日のロマンスカーでもローズのカノンは鳴り続けていました。
車内で突然、今まで長く喋れなかったのに、突然、喋れたのです。私は10年前から認知症で喋られなくなりました。決まったお店でしか買い物ができなくなり、買い物をすると計算ができないので、いつも1万円札を出して、おつりをもらって、何も言えず、帰ってくるのです。
新しいお店には行けず、ずっとお付き合いしているお店だけに行って必要なものだけを求め、お礼をして、1万円を出してお釣りを貰って帰るしか出来ませんでした。
いつの頃からか、計算ができず、おしゃべりができず、お釣りの計算はお店に任せて、いつも一万円を出す習慣になりました。
喋れない、計算ができない、だから新しいお店に行けない、心療内科では、そんな私を認知症と診断され、夫婦で納得していました。おしゃべりは一切できないままでした。
姉のオルゴールを聴くことで私たち夫婦はオルゴール療法がやっと解ったので理解することになったのです。夫は次々とオルゴールお買い求め、最後に高価なディスクオルゴールを求めてきました。
その一抱えもするような大きなオルゴールを夫婦のベッドの真ん中に、大きな共鳴箱の桐の箱の上において、午前中に2時間、夜は二人のベッドの間で2〜3時間は聞きました。
美しい魅力的な音だったので、とても気に入っていて、夫婦で長く聞くことができました。それで、そんなことで、私のおしゃべりが出来るようになったのです。認知症が治ったのです。どうして? オルゴールは、私たち夫婦にとっては、なくてはならないものになりました。
佐伯所長さんに強く進めてもらわなければ、「強い音が良いと、オルゴールの購入はなかった。私たちの背中を押してくれた、おかげさまで八十一才歳を過ぎても普通の生活を送れているのです。
健康でいられることがどれ程のことか、認知症から蘇って、普通に生活が送れることが、どれほど、嬉しいか、普通にお店に行って、お話しが出来て、お野菜を買って帰る、ことが幸せなのだと、幸せって、こんな単純ことだと知りました。
オルゴール療法に感謝して、久しぶりに東京日本橋の所長さんにお会いしました。認知症が改善され、普通の生活ができていることをとても嬉しく感謝しました。
佐伯所長さんと、普通に喋れて、夫婦して喜んで、尊いお仕事をされているのだと、思いました。上手く言えませんが、オルゴール療法で、オルゴールで、認知症が治るなんて、私たち3人は、誰も信じていなかったのに、今でも信じられませんが、ほんとうに有り難いです。 東京日本橋 オルゴール療法研究所のサロンにて 東京都 81才女性 今田幸枝さん (仮名) 手記と録音 佐伯吉捷