「昭和59年妊娠後期に頚椎骨髄腫が見付かり36週で帝王切開、翌日頚の手術15年後に再び腫瘍が大きくなり再手術、その後三叉神経痛でブロック手術、MRA検査で手術は成功していると言われました。
右手足が不自由で鈍痛は2~3時間毎に1日中、右手が腫れるなど。鎮痛剤は内服・湿布・塗り薬等で少しでも薬を減らしたいと思いつつも減らせませんでした。
オルゴール療法を薦められやる気も無いまま不承不承参加しました。6回目の時途中で腕が痛くなり7回目も同様でしたが夜になって何か少し変わったような感じがあり初めて自分からオルゴールに行ってみようと思い翌日続けて行きました。
風が吹いても顔が痛く生け花用の剣山の先を針に換えて顔に打ち付けられているようで顔から痛みが飛び出していました。きつい鎮痛剤も次第に増え副作用でふらついていました。
でも頚椎の2回の手術の方が大変だったと我慢しているうち第5腰椎分離症も疑われ坐骨神経痛が始まりました。
「どうして私はこうなの」と精神的に滅入る日がふえました。腰椎はその後少し治まりましたが年末、この年はいつに無く厳しい寒さが続き薬の量は再び増え普通の人なら1/4錠から使うのが夜中も含めて7錠にまで増えました。
この頃はオルゴール療法も少しは信じていましたが食事も噛めない程痛い日が続きました。1月末厳しかった寒さが少し和らぐと薬がうんと減らせるようになりました。
18回目の1月29日、その後のまなくてよい日が続きましたが生活の変化も無く医師の治療も受けていないのに痛みのまったく無い日というのは15年来のことと喜んでいます。
頚の手術後の右手の痛みはまだ解消されていませんが包丁も握れなかった手が4月末にカレーを作ることが出来ました。主治医の先生にオルゴール療法の話しをしたら、「ホオー世間には不思議な事があるんだな」と興味を持ってくださいました。「勉強するよ、少し時間を頂戴」と。考えてみればオルゴール以外何もしていません。それに薬を止めてから急速に経過がよくなりました。
気が付けばうつ状態はすっかり無くなり元の朗らかな気分で過ごしています。もう少し頑張って寒さがぶり返しても凌げるよう、又右手の痛みや更には頚の腫瘍の再手術をしなくてもよくなるようにと思っています。